鬼石(小野町)概要: 案内板によると「小野小町の母親、愛子は、殿上人となってしまった夫、篁の帰る日はないと諦めつつも、必ず帰ると約束した別れの日の言葉を信じ、年経る毎に遥かなる夫と吾子比古姫(小野小町)の身の上に思いを馳せながら、愛子の憂いはつのるばかりだった。月の明るいい夜など侍女を伴い丘の頂上の大石に佇ずみはるか篁山(矢大臣山)を眺めては思いに沈んだ。
この様子を探った鬼どもが、ある時、徒党を組んで愛子たちに悪戯をしかけ、その後も館までのし上がって侍女たちを困らせたという。お館様として、愛子を敬愛する郷民は、これを聞いて激怒し、替え玉を使って、鬼どもをおびき寄せ多勢の武将隊が一挙に、これを捕まえ大石の上で制裁し謝らせた処ろ、鬼どもは涙を流して改心を誓ったことから、以後この石を「鬼石」と呼んでいると云う。
尚、この付近の地名、鬼石に関して、一説には篁館跡の前に大きな鬼の石像があったためともいう。後世、館跡のことを古城と呼び、それがなまって、現在館跡東手の地名「小治郎」となったといわれている。」とあります。
山中にある巨石で存在感があります。近くには「愛子墓碑」や「小町生誕の碑」、「小野篁館」、「珍敷御前(愛子)神社」、「篁神社(矢大神社)」など小野小町縁の史跡が点在しています。
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