小野小町の墓(土浦市)概要: 伝承によると小野小町は出羽国(現在の秋田県と山形県)に帰国する途中に当地に立ち寄り重病になりました。小町は清滝観音(清滝寺:坂東三十三箇所第26番札所)や北向観音(行基菩薩が開いたと伝わる観音堂、疣に御利益があるとされます。)に参拝した事で容態が一時回復しましたが、旅を続ける事が出来ず当地の村長である小野源兵衛宅で養生しました。その後、元慶7年(883)年7月7日、69歳で当地で亡くなり敷地内に墓碑(五輪塔)が建立されると、小町の墓碑は夫人病や容姿が美しくなる事に御利益があるとして信仰の対象となり、現在でも旧暦の7月7日には供養が続けられています。これらの伝承は広く知られていたようで、小田城(つくば市)の城主小田氏治(小田氏15代で大名家としては最後の当主)も小町の史跡の保存の為に自筆の「必花石」を彫り込んだ石を奉納しています。土浦には小野小町の伝説が色濃く残っている地域で小町の墓周辺には小野越峠(北向観音の参拝路だった事から名付けられた)という峠をはじめ、腰掛石、簪の木、覗石、姿見の池などの史跡が点在しています。
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