大崎市: 小野小町の墓

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小野小町の墓
小野小町の墓
[ 付近地図: 宮城県大崎市古川 ]・[ 参考:宮城県大崎市古川 ]
概要・歴史・観光・見所
小野小町の墓(大崎市)概要: 小野小町の墓(大崎市)案内板によると「小野小町は平安時代の女流歌人で、日本女性の代表的美人として有名である。伝説によれば、「都での華やかな生活も寄る年波には勝てず、晩年故郷の秋田に帰る途中、ここ新田夜烏の里に差しかかったころ、にわかに病に倒れてしまった。草庵を結んで氷室の薬師に100日参りして病気平癒の祈願をかけ、明日が満願成就という日に精根尽き果てて、路傍に倒れそのまま没してしまったそれを見た村人たちは淋しい最期をとげた小町をあわれんで手厚く葬り、墓碑を建立してその菩提を弔った。」という。小野小町の墓(大崎市)小野小町の生涯については謎が多く、出生の地や死亡した場所などについては、正確には把握されていない。この墓も真偽のほどは今のところさだかではないが、往時の風流人が小町の墓を建て、多くの人が墓参し、歌を詠む習慣が近年まであったとも伝えられている。ある意味で、当時の古川地方の文芸的側面を物語る遺産とも考えられ、文化史的にも大変貴重なものである。 古川市教育委員会」とあります。墓碑は江戸時代初期の仙台藩2代藩主伊達忠宗の時代に建てられたもので高さ約1.5m、幅約0.9m、建立当初は、ここから南へ約2キロ程離れた旧大崎家家臣の屋敷跡にありましたが、明治時代初頭に街道の付け替え工事があり、小町が在原業平と偶然出会ったという縁の当地に移築されたそうです。又、室町時代に編纂された「義経記」の「三の口の関通り給ふ事」の中でも「・・・昔、出羽郡司の娘小野小町と申す者が住んでいたという玉造(現宮城県大崎市)、室の里と申す所・・・」との下りがある事から室町時代には既に、周辺が小町の縁の地としての認識があった事が窺えます。ただし、玉造(現宮城県大崎市)で死んだのは小町の姉であるとして、その姉が葬られ塚の上に植えられたのが「姉歯の松」という設定になっています。
小野小町


 
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