小野塚(小野良実の墓)概要: 小野塚は言い伝えによると、小野良実が嘉祥3年(850)に出羽郡司に就任し、この地に赴き居住地にすると、周辺は小野千軒と言われる程に大きく発展したと言われています。その後、地震などにより家屋は倒壊し町は消え失せましたが、良実の屋敷内に建てた熊野神社の境内には自身が葬られた小高い古墳があり、現在でも周囲の人達から「小野塚」と呼ばれているそうです。塚の近くには墓標として植えられたと伝えられている「ナンジャモンジャの木(エゾエノキ)」が生えており山形県指定天然記念物に指定されています(推定樹齢500年なので伝承通りとしても数代目と思われます)。ちなみに、小野良実とは小野小町の父親、小野篁の息子にあたる人物と言われていています。小野篁は平安時代前期の公卿・文人で弘仁6年(815)に陸奥守だった岑守に随行して陸奥国に入り遣唐副使などの要職を歴任した歴史上の人物です。正式な記録上では篁の息子に良実という人物は見当たらず、疑問視されていますが、一方、何故か出羽国内(秋田県・山形県)ではあたかも実在した人物かのように度々神社や寺院の創建に関わっています。近くでいうと酒田市市条に鎮座する八幡神社は元慶の大乱を鎮める為に良実が石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊を勧請したと「出羽国風土記」に記載されているようです(出羽国風土記といっても古代に編纂されたものではないようです)。
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